Xを利用していくうちに、どんどん知り合いが増えてきた。Xにはスペースという複数人で会話が出来る機能がある。
とあるお料理を上げている女性に
『美味しそうですね。いつもお疲れ様です。』
などとコメントを入れると
『ありがとう。いつもコメントに励まされてます。』
と返ってくる。
ある日、1番上にあるバーに彼女のアイコンを見つけた。
『どんなこと話してるんだろ。』
と、興味本位でリスナーとして入ってはすぐ出る行為を繰り返していた。するとある時
『コソコソしてないで、一緒に話そうよ。』
とDMが来た。
恐る恐るスペースに入ると
『やっと来てくれたね!ありがとう!』
と、明るい声。嬉しかった。
一人の生活になり、会話というものをほとんどしなくなっていた。配達先で話すことはあくまでも業務上のことで会話とは言えない。会社でもそんなに話す機会がある訳では無い。おしゃべり好きな俺は正直、会話に飢えていた。だから、本当に有難かった。
スペースは、顔も住んでいるところも知らない人達と話せることもあり、とても新鮮だった。会話に飢えていた俺は何回もスペースに参加し、知り合いもどんどん増えていった。しかし、ふとある事に気づいた。知り合いのほとんどが心に病を抱えた人だった。
俺は超ボジティブ人間。俺から出る言葉の数々はどうも皆に刺さるらしい。
『そんな考え方があるんだね。』
『そんなこと思いもしなかった。』
とたいそう感心された。別に特別な事を言っている訳じゃない。
『どれだけ後悔したって、過去には戻れない。でも、未来はいくらでも変えることが出来る。だから俺は前しか見てない。』
とか
『俺の人生は俺にしか歩めない。どんなに頑張っても他人が歩むことは出来ない。だから、他の人がどう言おうと、俺は俺の信じた道を歩むよ。』
とか
『人生はたったの一度きり。やり直しは出来ない。だったら後悔しない人生を送りたい。』
みたいな事。当たり前でしょ。
でも、皆はこんな言葉を聞いたことが無いらしい。
俺の言葉にハッとしてボジティブに変わるひとがチラホラ出てきた。そしてこう思った。
俺は心に何も抱えてない
俺の言葉で少しでも元気になったり
ボジティブになることが出来るなら
皆の力になってあげたい
車椅子や白杖を持っている人は分かりやすい。身体の不自由な方には配慮しましょうと習う。でも心の病はどうだろう。外見では全くの普通の人。全然分からない。事実、病気を打ち明けると
『えーっ、全然分からない。』
『それ、本当なの?』
と言われるそうだ。
心が辛くて仕事に行けず、でも買い物はしない訳にはいかないので、外に出ると。
『あら、今日はお休みですか?』
と、ご近所さんに声を掛けられる。ご近所さんには全く悪気は無い。しかし、その言葉が胸に突き刺さる。
この事例一つ取ってもそうだ。俺達は何も知らない。知らなすぎる。また、知る機会も無い。少なくとも俺には教育も無かった。
ヘルプカードという物も、皆とのやり取りの中で初めて知った。赤地に白十字の心に病を抱えた人用のカードらしい。
海外からの観光客が
『日本は素晴らしい国だ!』
と絶賛しているが、いやいやちょっと待て。
本当に今の日本は素晴らしいのか?
心に病を抱えた皆はどれだけ大変な日常を送ってると思うんだ。
酷い、酷すぎる
皆が平穏な日常を過ごせる日は来るのか?
基本的人権の尊重って何だよ
俺達はもっともっと心に病を抱えた人達の事を知らなければならない
必ず
絶対に
皆が平穏無事な日々を過ごすことが出来るようになるその日まで。