親元から離れたくてたまらなかった当時、新たに赴任してきたバスケットの監督が
監督「おい、W。お前、福井県の高校に行かないか?」
俺「はい!ぜひお願いします!」
監督は北陸高校に前に一人、送り込んだことがあるらしい。監督同士が知り合いとのこと。勉強が苦手で、受験勉強もやってなかった俺は二つ返事でその話にのった。中学の戦績はぱっとしなかったが、バスケは相変わらず好きだった。高校でも当然続ける気持ちだった。結局、俺ともう一人が進学した。
住まいは監督の自宅2階の合宿所。チームは全国大会の常連の強豪校。同級生は全て各県からのスカウト。180cmから200cm近い連中だ。俺たちと違い、入学前からチームの練習に参加しているらしく、動きがまるで違う。ダンクをガンガン決める同級生もいた。体力的にも技術的にも全く通用しなかった。今までお山の大将でやってきた俺にとって、バスケでの初めての挫折だ。
172cmの俺はチームで一番チビだった。当然今までのポジションは出来るはずもなく、司令塔という今まで一度もやったことのないポジションしか担当できない。というか、地区予選以外、ベンチ入りすら出来なかった。
先輩方ももちろん強かったのだが、俺たちの代は桁違いに強かった。
当時、高校最強だったのは秋田県の能代高校。能代には先輩方も一度も勝てなかった。
当時の高校のタイトルは、
春の選抜大会
夏のインターハイ
秋の国体
の3タイトルだった。
しかし、俺たちの代に代替わりすると、選抜大会が2位。インターハイが能代を破り優勝。国体が2位というとんでもない戦績だった。結局最後まで全国大会レベルでベンチ入りすること無く引退となった。
さて、話は入学時に遡る。福井県は当然方言があり、初めは全く理解できない言葉がいっぱいあった。千葉県出身の俺は当然標準語なので、クラスみんなに珍しがられた。休み時間には東京はどんなんだ?とかあれこれ聞かれた。
ある日、バレー部の友達が東京に遠征をしてきたと言って、俺に話を振ってきた。
友達「そういえば、すげえオシャレな店に行ったよ。ええっと、確か1001っていう店。」
俺「1001?・・・・・それってもしかして丸井のこと?」
友達「あーーーっそうそう。そんな名前だったわ。」
さて、バスケに挫折した俺は今後どうしようかと考えた。同級生は当然バスケで大学に進学する。でも俺の技術じゃあ大学に行ったって知れてる。そこで勉強に力を入れることにした。とはいっても、得意科目なんて無い。そーだよなどうしよう。と、思っていたある日、国語の時間に漢字の小テストがあった。それを3回続けて高得点を取ってしまった。実は、漢字だけは得意だ。小さい頃から「シャーロック・ホームズ」が好きで活字に触れていたからだろう。国語のおばちゃん先生は
「この子は出来る子だわ。」
と思いこんでしまい、ものすごく期待された。これはヤバい。悪い点取るわけにいかない。4回めのテストから、透明な下敷きに答えを入れて臨んだ。何問かをわざと間違えて、高得点を維持していた。ところが、10回目のテストの終わりに恐ろしい言葉を聞いた。
「来週まとめの漢字100問テストをやります。」
えーーーーーーーーーっ!マジか!えっ、えっ、どうしよ!
仕方なくその日から猛勉強。来る日も来る日も漢字漬け。
その甲斐あって、見事95点!これで国語が出来る人が出来上がった。
何かというと、俺を前に出し黒板に書かせて、
「見なさい!みんなもこんな風に書くようにね!」
とか言って、ものすごくエコヒイキされた。
国語が得意な奴の評判はバスケ部全体に広がった。おかげで、読書感想文を2人分、自分のを合わせると、3人分書いた。先輩の奴は前書きだけで3枚書いた。同級生のは危うく賞を取りそうになった。自分のは全く大したことないのに。
そんな事があった高校時代の話。